【体験談】匿名様30代女性より寄稿いただきました。

私は発達障害で33歳。
結婚して、1人の子どもがいます。その子はASD(自閉症スペクトラム障害)です。

私が子どもの時分は、幼稚園ではみんなと同じよう先生の言う事を聞けず、走り回り迷惑をかけ、小学校では勉強の仕方もわからず、特に算数など数を読むのが壊滅的でした。
宿題も、普段の勉強が全く頭に入っていないものだから、何も出来ず教えてくれるはずの親は共働きで忙しく、やり方を聞いても鬱陶しそうにして教えてくれず『他の兄妹に聞くか自分でやって、ホントにバカなんだから。』

 

と取り合ってもらえなかったため、学校では担任に目をつけられ、それを見たクラスメイトが「こいつなら虐めてもいい。』と思い込み、小学校6年間虐められ続けました。

 

誰にも助けてもらえず、親からも担任からもクラスの人間からもバカにされ続けて、自尊心なんてカケラも残らないくらい、木っ端微塵になりました。

そんな辛い中でも、絵だけは得意だったのでずっと描き続け、専門学校へ特待生で進学した。

 

でも、いくら絵が得意といったところで、進学先は絵の専門学校なわけですから、自分より絵が上手い人間なんて腐るほどいるわけです。

木っ端微塵になった自尊心はそこからさらにポロポロと擦り落ちて行き、

親から「お前なんかに絵は無理なんだからさっさと就職しろ。金が勿体無い』と罵られ最終的には就職しました。

就職して、正社員として働くなか私はとんでもない生きづらさを感じるようになりました。

先輩が一つ教えてくれたら、最低でも五つは先を読んで行動するのが当たり前である事。

接客で、お客様が例えば『トイレはどこにあるのか』と聞かれれば答えるのではなく、そこまで案内するのが当たり前である事。

そして何より『そんなこと、教えていなくても出来て当たり前である。』事を入社1ヶ月目で言われたことに驚きました。

 

教えてもらってないのに出来ません。

 

と言おうものなら『同期の〇〇さんは言われなくても出来ている。お前も出来ないとおかしい。頭が悪い。』
など散々な言われようだった。

そこからなんとか1年勤めたが退職した。
一身上の都合というけど、何のことはない。
クビになっただけである。

 

そこから色んな所に転職して、新しい土地で働いても、何故だか上手くいかないし上司には無能扱いされたりとにかく生きづらくて。
一度は絵の道に戻ろうと、描いたりしたけど、利用されるだけされて下手くそ扱いされて、ゴミみたいに捨てられて、人のために描くのも嫌になって…。

死のう。辛すぎる。

 

どうやって死のうか考えたとき、真っ先に思いついたのが『睡眠薬のオーバードーズ』だった。
そう簡単に死ねるわけじゃないのにな。

 

市販の薬じゃ効かないだろうなと、ボンヤリ考えて向かった先は心療内科。
初めての心療内科での診察は不思議なものだった。

今までの事を話すと、親や学校の先生は『甘えんな、何とかできる!お前のやる気がないだけ!怠け者。』と罵られて終わるのに、まるで風にあおられた羽毛のように、ふわりと『そう。』『そんなことがあったんですね。』『ほぉ…なるほど…そうなんですね。』と否定もしなければ目立った肯定もしない。

 

一通り話し終えて『眠れないから睡眠薬ください。』と告げた。
すると先生が『あなたに必要なのは、睡眠薬ではありません。あなたはおそらく発達障害です。
詳しい心理検査を行う必要がありますが、おそらく間違いないでしょう。大学病院の精神科へ紹介状を書きます。』

 

そこからは早かった。といっても予約が半年以上待ちだったけど、親にも先生から『娘さんを休ませるように』と言ってもらえたことで何とか心の鋭気を養う事が出来た(それでも、働け!だの怠け者!だの嫌味悪口言われたりしたけど、職場とのダブルパンチがなくなっただけマシだった。)

 

そうして、私は25歳の夏に発達障害B2と記載された療育手帳を取得することができた。

 

そこから障害者枠で契約社員として就職し、その会社の社員の男性と結婚した。子どもも産まれました

 

そして冒頭にも書きましたが、その子どもはASDです。
私自身が発達障害ですから、間違いなく遺伝するだろうと思い、生後1ヶ月からずっと注意深く観察し、10ヶ月で怪しさが増し、検診があるたび担当の保健師さんと相談して、市がやっている、子どもの発達相談で、相談実績をつくって2歳で療育に通うことが出来て、3歳で医療機関受診して診断がASDと決まった。

 

私が発達障害で遺伝してしまって息子に申し訳ないという気持ちが、本人が4歳間近になった今でも消えない。

 

今でも時々、死にたい気持ちが出てきて辛くなるけど、産んだ以上は私がとても苦労した分、息子には生きづらくないように、環境を整えながら育てていこうと思っています。

発達障害の療育は早ければ早い方がいいです。

 

大人になってしまった場合は、自分が障がい者であることをまず受け入れることと『信用できる相談場所もしくは人物』を見つけることがいいんだと、私はずっと苦しかった人生の中でやっと見つけました。

親や友達(知人)なんていうのは自分が発達障害で人間関係がうまくいかないなんて話すとすぐに
『甘えんな。ちゃんと話せてるくせにそれでコミュニケーションとれないとか、お前が悪いだけ。』と平然に吐き捨てて来ます。
自分は死のうと思うくらい辛かったことを

 

『甘え』

 

この一言で一蹴してきます。

もちろん、そんな人ばかりじゃないのは承知ですが、私の周りにいた大人たちが終始こんな感じでしたので、悩みや苦しいことは、お金を払ってでもプロに聞いてもらう。

こまめに市の担当職員(社協の人)に話して地道に味方を作って行った方がいいです。
障がい者枠の人間が就職するにも、社協職員の彼ら彼女らの力を借りることになるでしょうし。

子どもがいらっしゃる方なら、保健センターの保健師さんに電話してこまめに、子どもの相談をして行った方が、療育への近道か思います。
大抵評判の良い病院の情報を持ってたりします。

ただ、市の職員も当たり外れがあるんで、塩対応(大体こういう人はタメ口で、相槌が、はあ…。うん。だから何?とぶっきらぼうに言う)されても、別の日に電話してみればものすごくいい人に当たることが必ずあるので、めげずに味方作りのために相談する先を作って行った方が良いかなと思います。

書きたいことや言いたいことが、とっ散らかってて支離滅裂な文章ですが、誰かに言いたくて…。
この場をお借りしました。ありがとうございました。

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