【体験談】匿名様30代女性より寄稿いただきました。
私は発達障害で33歳。
結婚して、1人の子どもがいます。その子はASD(自閉症スペク
私が子どもの時分は、幼稚園ではみんなと同じよう先生の言う事を
宿題も、普段の勉強が全く頭に入っていないものだから、何も出来
と取り合ってもらえなかったため、
誰にも助けてもらえず、親からも担任からもクラスの人間からもバ
そんな辛い中でも、絵だけは得意だったのでずっと描き続け、専門
でも、いくら絵が得意といったところで、進学先は絵の専門学校な
木っ端微塵になった自尊心はそこからさらにポロポロと擦り落ちて
親から「お前なんかに絵は無理なんだからさっさと就職しろ
就職して、正社員として働くなか私はとんでもない生きづらさを感
先輩が一つ教えてくれたら、最低でも五つは先を読んで行動するの
接客で、お客様が例えば『トイレはどこにあるのか』と聞かれれば
そして何より『そんなこと、教えていなくても出来て当たり前であ
教えてもらってないのに出来ません。
と言おうものなら『同期の〇
など散々な言われようだった。
そこからなんとか1年勤めたが退職した。
一身上の都合というけど、何のことはない。
クビになっただけである。
そこから色んな所に転職して、新しい土地で働いても、何故だか上
一度は絵の道に戻ろうと、描いたりしたけど、利用されるだけされ
死のう。辛すぎる。
どうやって死のうか考えたとき、真っ先に思いついたのが『睡眠薬
そう簡単に死ねるわけじゃないのにな。
市販の薬じゃ効かないだろうなと、ボンヤリ考えて向かった先は心
初めての心療内科での診察は不思議なものだった。
今までの事を話すと、親や学校の先生は『甘えんな、何とかできる
一通り話し終えて『眠れないから睡眠薬ください。』と告げた。
すると先生が『あなたに必要なのは、睡眠薬ではありません。あな
詳しい心理検査を行う必要がありますが、おそらく間違いないでし
そこからは早かった。といっても予約が半年以上待ちだったけど、
そうして、私は25歳の夏に発達障害B2と記載された療育手帳を
そこから障害者枠で契約社員として就職し、その会社の社員の男性
そして冒頭にも書きましたが、その子どもはASDです。
私自身が発達障害ですから、間違いなく遺伝するだろうと思い、生
私が発達障害で遺伝してしまって息子に申し訳ないという気持ちが
今でも時々、死にたい気持ちが出てきて辛くなるけど、産んだ以上
発達障害の療育は早ければ早い方がいいです。
大人になってしまった場合は、自分が障がい者であることをまず受
親や友達(知人)なんていうのは自分が発達障害で人間関係がうま
『甘えんな。ちゃんと話せてるくせにそれでコミュニケーションと
自分は死のうと思うくらい辛かったことを
『甘え』
この一言で一蹴してきます。
もちろん、そんな人ばかりじゃないのは承知ですが、私の周りにい
こまめに市の担当職員(社協の人)に話して地道に味方を作って行
障がい者枠の人間が就職するにも、社協職員の彼ら彼女らの力を借
子どもがいらっしゃる方なら、保健センターの保健師さんに電話し
大抵評判の良い病院の情報を持ってたりします。
ただ、市の職員も当たり外れがあるんで、塩対応(大体こういう人
書きたいことや言いたいことが、とっ散らかってて支離滅裂な文章
この場をお借りしました。ありがとうございました。