まちふくさん取材記事
神奈川県横浜市にある、就労継続支援B型事業所『まちふく』さんの取材に伺いました。
マテバシイという食用どんぐりを加工し、お茶やお菓子にする工程の作業を行っている事業所です。
そちらの代表取締役社長である、田中 博士(たなか ひろし)さんに話を伺いました。
もくじ
ダンサーから障害者施設を立ち上げるまで
株式会社まちふく 代表取締役社長 田中 博士さん
――田中さんは元々ダンサーでそこで障害のある方と知り合ったのがきっかけで障害者施設を立ち上げられたと思いますが、そこまでの経緯はどういったことがあったのですか?
田中さん 最初知り合いの人が僕が働いてる飲食店で「障害があるみんなもここでダンスをできない?ディスコパーティーをやりたいんだけど…」という話をもらったのがきっかけでしたね、「ぜひやりましょう」と。
その時は障害があるみんなに対してどう接していいか分からなくて。ダンサーでもみんなの前で踊ったりもしなかったんですよ。車椅子の人の前で踊ると悪いんじゃないかとかそんなことばかり考えて、みんなとの距離が全然縮まらなかったんです。
ある時「ちょっと踊って」って言われて踊ったらすごい喜んでくれて、そこから仲良くなったんです。そのあと仕事で悩んでうつ病になって3ヵ月くらいベッドから出られないときもあったんですけど、ちょっと元気になってるときはディスコパーティーに参加して会うとすごく救われてたんですよね。
いつも笑顔でいてくれるし、僕に何があろうが関係なく接してくれるし、それで大好きになってずっと関わっていたんですよね。
ディスコパーティーは余暇支援で楽しく遊ぼうっていう感じに月1回やってたんですよ。ただ他に何かできないかなと思って。
実際障害のある人たちが困ってるのであればなんか自分でできないかなって思って、事業を立ち上げたんです。で、まちふくを作りました。
どんぐりにかける想い
どんぐり源さん
――どんぐりを売り始めたきっかけとして、職業訓練士の方がどんぐり文化を提唱されたというのがあると思うのですが。
田中さん どんぐり源さん?
――そうですそうです、その方と関わり始めてどんぐりの事業をやろうとなったのはどういったことがあったのでしょうか。
田中さん それは人の紹介でしたね。自分がまちふくを立ち上げて障害のあるみんなの就労支援をやると決めた時に、会社経営もしたことなかったので運営がどれぐらい大変とかも分からなくて。
でもとにかく思いしかなかったので、障害があるみんなの地位を俗にいう健常者とできるかぎり対等にしたかったのと、そのためにも誰もやってないことを始めようということだけを決めてたんです。
いろんな人に「誰もやってない事業で障害のあるみんながやれることはないか」と探していて、紹介してもらったのがどんぐり源さんでした。
その当時一人で作業場として縄文時代みたいな建物のところにいたんですよ。見に行ったらどんぐりを割って粉にしていてそのひとつひとつの作業を見てて「これだ!」と思って。
これはある程度障害の重い子でも作業ができる部分が多いなと思ってそれで源さんに「一緒にやってください」と言ったら「博士ちゃん、やろう」と言ってくれて、まちふくでどんぐりが始まったんです。とにかく誰もやってなかったことをやりたくて。
――それで最初どんぐりを売り始めたと思うんですけど、「どんぐり?食べられるの?」という反響はありましたよね?
田中さん それはすごい言われて、今でも言われることがありますね。「食べられるの?」「どもるんでしょ?」とかさんざん言われましたね…。
――そうですね。ただ調べていったら先ほどの話でもありましたけど、無駄もないし、栄養もあるし、作業としても難しくないといったらなんですけど割ったりもありますし、って誰にも損がないですよね。
田中さん 関わる人も含めて、人や自然や社会がすごく良くつながっていくなっていうのはやってみてすごい思うようになったんですね。
それに栄養の面でもポリフェノールが3倍の総含有量があのブルーベリーより多いとか。いろんなことが分かってくるうちに、「やっぱりこれは素晴らしいものだ」と実感してきたので、どんどん続けていこうと思いましたね。
最初はやっぱりどんぐりをどう保管していいかも分からなかったんです。煎餅屋さんは一斗缶でお煎餅を保管したりするというのを聞いたので一斗缶がいいんだと思って、そこにどんぐりを入れて保管していたら全部カビになったりとか。
割るのもいろんな割り方をしましたし、どんぐりを集めるのもいろんなやり方をしましたけどそれが今やっと全部落ち着いて安定してきました。ただこれからもっと量産するとなったらもう一段階次に行かなきゃいけないですけど。
本当にすごい手間がかかるんですよ。一粒一粒拾うところから、洗って、干して、煎って保管して、一個一個割って粉にして。それは誰でもできることじゃないと逆に思うようになりました。
うちのメンバーもそうですけど、人や社会から認め求められてることをやることでこれから活躍ができたり、自信が持てると思うんです。
すこしずつやられてるところはありますけど、どんぐりをここまでは他ではやってないので。一t以上どんぐりを集めていろんな商品をOEMで考えてっていうのはないので、これは0から1が生まれたと思っていますね。これからはひとつの事業として成り立たせていくことです。
今縄文ブームみたいなのがちょっとあるみたいで、問い合わせとかも最近増えたんです。この前もポルトガルからメールが来ました。
どんぐりを割るのはどうしたりいいかを調べていくとまちふくにたどり着いてくださったんです。
そういう意味ではどんぐりが広がって今後いろんな障害事業所などでやっていければそれぞれいい面があるのだろうけど、そこにいくまでうちがどこまで頑張れるかっていうのがあるんで、これからも頑張って続けていきます。
今の時代だからこそ大事なもの
――保存の仕方から割り方から何まで試行錯誤の末だったんですね。
田中さん 本当に昔の人の気持ちが分かるようになりましたね。どんぐりって自分で育てないですし。『自然農業』っていって、全く何も手を加えないオーガニックの業界で一番素晴らしいものなんです。
本当に天候とかにすごい影響をされるし、「今年はすごい豊作」という年もあるし、「出来悪いな」という年もあるし。
そういうのって僕たちにはコントロールできないじゃないですか。今自然が破壊されたりすることでどんぐりに影響がきっと出てくるんだろうなと思うと、それに関わって生きているものにとって「本当に大事にしなきゃいけない」っていう想いが強くなります。
どんぐりって5月に花が咲いて、そのあと実がなるんですね。毎年どんぐりのいつも収穫する場所に行って花が咲いているのを見ると、ジーンときますね。
8月くらいに小さい実が出来始めるころにまた行って、「今年早いな」とか「まだまだかかるな」と思って収穫の時期を考えたりします。本当にその時「ありがとうございます」と手を合わせますし、「雨降らないでくれ」とも思いますし、昔の人がお祈りをして物を作ってたりって自然にあるものをいただいてた時代のようなことをしています。というよりしてしまうんです。
もう願うしかないんですよ。それが今この時代で経験できているのはある意味嬉しいですね。
――そうですよね。今でこそ物があふれかえって飽食だなんだっていって捨てられてしまうぐらいなのに、「実ってくれ」というふうに今自然にフォーカスして考えられてるのって私が言うのもなんですがちょっと幸せなことなんじゃないかなと。
田中さん AI、人工知能や機械的なものがこれからどんどん発展していかなきゃいけない部分はもちろんあるのですが、その反面同じだけ大事にしていかなきゃいけないのは自然とか人の心とかそういう部分だと思うんですよ。
だから「僕たちはこっちを頑張ろう」と思いますけどね。
――やっぱり無機質なものやITってちょっと人の心とはかけ離れてるような気がするので、今こうやって原点に戻られてやられてるところがあるというのは素晴らしいですね。
田中さん その通りです。あとどんぐりってリラックス効果もあるんです。作業する人は毎日ずっとどんぐりを触っているじゃないですか、「嫌だ」って言った人がいないんですよ。
それで、どんぐりも一粒一粒集めていくので1日3時間で疲れてしまうのですが、それでもみんなハマるっていうんですよ。
僕の仲間の人たちも協力してくれたり、家族で一緒にどんぐりを集めるイベントもやったりするんですけど、みんな「またやりたい」とか「あっという間だった」とか「楽しかった」とかそういう声ばかりでした。
それと、どんぐりを嫌いな人に会ったことがないんですよ(笑)高齢の方で「食べられないんでしょ?」とかいう方はいらっしゃいますけど、子どものころって絶対どんぐり関わってるじゃないですか。
その時に、嫌な思い出ってあんまりないと思うんですよ。最近の子どもたちと一緒にいても思うんですよ。「わーどんぐりだ!」と言って来るし。
そう考えるとなんかどんぐりって人にとってすごく「いいものなんだろうな」というのは実感しますね。
『応援』して寄り添う
――他の就労移行支援事業所さんも取材させてもらって思ったのですが、『支援』という言葉を使われないなという感じはして、代わりに『自立』や『手助け』などそういう言葉を使われてると思いました。田中さんのところも『支援』という言葉を使わないようにと思っていますか?
田中さん そこは特には意識してないですね。僕的には一番ぴったりくるのは『応援』かもしれないです。寄り添うことだし、そのできないことが人によって違うだけで人間一人じゃ何もできないじゃないですか。
それが障害ってなると、障害の種類によっても、人によっても変わってくるし。そのちょっと凹んでいる部分をどうしていくのか。埋めてあげられるなら埋めてあげたいし、埋まらないものなら反対に凸の部分を伸ばしてあげたりだとか。
その人の人生にすごく関わる何年間かじゃないですか。だから僕たちの言葉はすごく重く残ったりもする部分もあるし、だから自分の力がなんでもいいから発揮できること、自分の存在意義や存在価値を感じられるのも同じことですけど。
そこがあって喜びとかが生まれてくるものだと思うので、そこに少しでもいけるようにっていうところが一番大きいですかね。自分のできることは自分でした方が嬉しいし。
変に「こうするんだよ」とか「こうしちゃいけないよ」ということよりも「それはなんでなの?」っていうことを一緒に考えるっていう感じかな。
――どうすればいいんだろうと思い始めた時にアドバイスではないですけども、ちょっと「こうしてみてはどうかな」というそういう関わりってことですかね。
田中さん でもその根本は「ちょっと話を聞いてもらえますか?」って人にならなくてはいけない。だからそこは信頼関係が必要なのかもしれないし、でもこの人だったら受け止めてくれるし、自分が何を言っても聞いてもらえると思ってもらえるか。
僕でも言うんですよ、注意もしますよ、もちろん。「これはよくないよね?」っていうのは言うけどみんなひとつよくないことを言われると、自分が全部否定されてしまったような感覚になる人が多くて、でもそうじゃなくて。
あなたのことは好きだし認めてるし、でも今やった行動はだめだし、今考えたこの考え方、その思いはよくないよっていうだけであって、あなたがだめだと言ってるわけではないよっていうのは僕は伝えるようにしています。
もっともっと話を聞けるようになりたいなっていつも思いますね。
――私も今そう思ってます。
人生で自分に話しかける人が10人しかいないとしたら
田中さん 障害によっては知的障害の重い方や自閉傾向の強い方もいて、すごく「幸せ」という事を考えてしまいます。まだコミュニケーションのキャッチボールができるのはいいと思うんですよ、話せるとか。
でもそうじゃない人たちとの関わりっていうのも最近思うようになって、ディスコパーティーのイベントなどに来てくれた時に、しゃべれなかったりするけど楽しんでくれてるのは伝わるんです。
勝手に話しかけるんですよ、僕。一応お母さんとか支援の方に「嬉しい時どういう表情しますか?」とか「悲しかったらどうなりますか?」「嫌がってる時ってどうですか」って聞くんですけど、話すと大抵喜んでくれるんですよね。
冷静に考えてみたら重度の障害のある彼に話しかける人っていうのは家族とか、支援者とか、たまに仲いい子とかいたりするけど話しかける人って限られるんですよ。生きていく中で死ぬまでに自分に話しかけてくれる人が10人ぐらいだと想像したら、すごくつらくないですか?
いろんなところにも行けるけど、僕たちより行動範囲は狭くて、機会も少ないかもしれないけれど、『自分』という人に向けて話しかけてくれる人が限られているって、僕自分で想像した時に「いやだな」と思って。
だったら僕はその人になれたらなって思って勝手に話しかけるようになったんですけど。やっぱそういうのっていうのも、みんなと一緒に関わることで感じられることだと実感しています。
そう考えるとどんぐりもそうですけど自分が人としてすごく幸せを感じることが増えました。綺麗ごとじゃなくて本当にこれは。とってもよかったなって思うし、もっともっとやりたいなって思うんですよね。
――自分に話しかけてくれる人数が10人だけって考えたらどうっておっしゃられて想像してみたらその中でも自分が関わりたいと思って関わっている人だけじゃない中の10人って考えたら、想像してみたんですけど胸が苦しいですね。
田中さん 「もういいよ、人なんか関わりたくないよ」と思ってる人もいっぱいいるじゃないですか。心の部分に障害があったりとか。でも本当にそうなのかって言ったら僕は根本は違うと思いたいですよね。
自分に自信がなくなったり、人を信じられなくなったりするものはあるけどそのさっき話した重度の障害があるその人達っていうのは「関わりたい」んじゃないかなって思います。
でも「関わってくれ」って言えない。自分が言葉を発せないし。「関わりたい」けど「関わってもらえない」っていうのはつらいですよね、これはあくまで僕の主観ですけど。
――それを考えると、重度じゃない方も本来は関わってほしいけれども、そのコミュニケーションだったりとかちょっといやな思いをしてそれを自分の防衛本能のために「いや、関わりたくないから」って言ってるとは思いますね…
田中さん 誰だってこれ以上傷つきたくない、苦しみたくないって思いますもんね。
心は強者
※自分プレゼンテーション OMgrey事務局代表オム氏、kokopelli代表ココペリ氏による発達障害、グレーゾーンを含む発達障害や精神疾患の方が多く参加する、自分自身をプレゼンテーションする発表の場
――田中さんがご自分の事業所だけじゃなくて、『自分プレゼンテーション』など発達障害の方にも関わるようになったのはどういったことがあったのでしょうか?
田中さん オムくんやココペリくんと会ってからですね。僕が参加してる中小企業家同友会っていう全国にある中小企業の団体があるのですが、唯一中小企業の経済団体で、
『障害者問題委員会」というのがあります。今も多様性がどんどん拡がっているので神奈川県では『ダイバーシティ委員会』となっていますね。
そこでは障害者雇用について考えたり、障害がある人たちが生きやすいように共生社会をどうやって実現できるかっていうことを真面目に考えている団体は同友会だけど、僕はそこで運動をさせてもらっていて。
今ちょうど委員長をやらせてもらっているんですけど、3年ぐらい前の例会にオムくんが参加してくれて知り合ったんですけどね。そこでオムくんがやっている活動を聞いてそこに行ったのがスタートで、そこからココペリくんたちがやってる自分プレゼンにも行き始めたっていう。そういう出会いからのつながりですよね。
――田中さんから声かけて「どういうふうにやってるんだろう」というのを。
田中さん 「行っていい?」というかオムくんも「来てください」という感じで。行かなきゃわからないじゃないですか。最初にグレーゾーンのみんなの集まりに行って、「ここってあたたかいな、空気が」って思ったんです。
みんなもちろん自分を理解してくれる人が少ないっていう想いがあるじゃないですか。発達障害とかグレーゾーンのみんなって。それを理解してくれてる仲間だけが集まっているからとってもその空気はあたたかいんだけど、みんなが発してることってネガティブなことが多かったんですよ。
もちろん『分かってもらえない』社会、会社っていうことに対しての。発散する場だからそれはそれで僕はいいと思うんですけど、要は不満みたいな部分というか「辛い思いをしてるんだ」って伝えて、みんなで「そうだよね」っていううまく伝えられないけどそのあたたかい空気は感じました。
でもずっとこのままじゃよくないなって同時に思って。じゃあ僕たちも変わらなくちゃいけないし、僕たちが変われば『そうじゃない』会社があるとか、『そうじゃない』社会もあると。少しでも希望が見えてくるとそういう考え方は減っていくだろうなと思って。
それでオムくんとそのあとも話すようになって、「『当事者』同士だけじゃなくてももっと社会や世の中に対してそういう発信はしていってほしいな。その協力はするよ」という話をしてそれからずっと期間はかかったけども、昨年の8月の『風穴プロジェクト』っていうのが実現できたんですよね。
悩みがあって、その悩みを聞いてくれたり解決してくれる人たちが出てくれば、「あ、ちょっと頑張ろう」とか「前向きに生きよう」とか誰でも思えるんじゃないかって。
人と人って2人いれば医者と患者みたいなもので、それも環境によってひっくり返ったりもする。視覚障害の方がまっくらなお店を案内して、行く人は普段は見えてるのだけど、そこでは何も見えなくてその人がいないと不安でしょうがない。でも視覚障害の方は普段からその世界で生活しているので全然普通になんでもできちゃうっていう。
それって今の環境とか今の時代の中で当てはめるからどちらかに傾倒するけど、そうじゃなければひっくり返ることもあるわけですよ。
僕は別に障害があるとかないとか抜きにして、オムくんともそうですけどお互いにできることはやろう、って話をして風穴プロジェクトで僕たちは当事者のみんなに「経営者ってちゃんと考えてくれるかも」って思いを持ってほしかった。
逆に僕たちはその仲間の経営者もそうだけど分からなかったことを知れる。発達障害って『障害』っていうイメージが大きいけどそれは人それぞれ違うし、「そんなもんじゃない」と思ってるので、それを理解してもらえるようになったっていうのはオムくんを始めココペリくん、吉田さんもそうだし、みんなのおかげなんですよね。
それはもうどちらがということじゃない気がして。そこは同じ思いで誰でも幸せに生きたいと思ってるし、ましてその生きづらさを抱えているというのをどうにかしていこうと思い、障害についてもちろん考えたりもする。
障害がある人たちってよく『社会的弱者』って言われるじゃないですか。社会的弱者って社会の基準がどこにあるって問題であって、僕は間違いなく心は強者だと思うんですよね、僕は尊敬してるんですよ。
障害を背負って生きづらい中生きていくって本当にしんどいことだし、それを誰かのせいにできないじゃないですか。障害っていうのは社会のせいっていうところはあるとは思いますけど。
でも、自己責任ではない。多分障害者っていうところに行きたくて行った人はいないと思っていて、それは先天性であって親のせいでもないし何のせいでもない。例えば公害、昔水俣病とかそういうものがありましたけど、それは人災で社会が問題であって。
自分の責任じゃない責任を死ぬまで背負っていくことってとんでもないことだと思っていて、「やだ」って言ってもなくならないですし。
障害によっては精神の躁鬱というのもあって、僕もうつ病になったことがあるので少しは分かる部分もありますが障害によってはよくなることはあったりするけど、障害がなくても人生を諦めたいって思う人もたくさんいる中で発達障害を一生背負いながら生きるってことだけでも僕はすごいと思ってます。
そこでそういう人たちが「もうちょっとやれるかな」とかそこから自分に自信を持てるところまでいけたらいいと思うし、僕もいつ障害を負うかなんて分からないし、明日目が覚めるって保障ももらってないですしね。そう考えると僕は素直に尊敬をしちゃいます。
変わってるって思われるかもしれないけど、だから大好きなんですよ。『障害者』って言葉自体は嫌いだけど、オムくんたちもそうですし、吉田さんもそうですしすぐ仲良くなっちゃうんですよね、僕。話しかけたくなっちゃうし。「みんなで楽しくなろう」ってシンプルな思いしかないので。
僕が最初ディスコパーティーを始めた当時の思いのどう接していいか分からないという思いを持ってる人がたくさんいるわけじゃないですか、自分もそれを経験してきたので分かるんですけど。
でも接すれば絶対そうは思わなくなるし、そこがもっとつながるようなことができて、みんなが人と人として認め合って生きていける社会(共生社会)を少しでも作っていけたらと思います。
株式会社まちふく
http://www.machifuku.jp/
OMgrey事務局
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