「発達障害の回顧録⑤【診断の意義】」

私はアスペルガー症候群とADHDがある31歳です。

正式な診断をもらってから、自助会と呼ばれる発達障害者の交流会に何度か参加しました。それまでほとんどなかった同じ悩みを抱える人たちとの接点が、一気に増えました。

その中で驚いたのは、自分と同じ年代の人でも、幼い頃に発達障害が見つかった人が意外と多かったことです。親の機転のおかげで、2歳で見つかったという人もいました。29年かかった身分からすれば羨ましいと感じてしまいます。

早期発見についてはそれぞれの立場の違いもあり、賛否があるようです。自分が障害者だと知ったことで自信をなくした、努力をしなくなってしまったという人もいますし、周囲から障害者として見られることに反発する人もいるでしょう。あるいは、偏見を受けることもあるでしょう。

それらを承知の上で書きますが、自分はやはり障害を早く知りたかったと強く思っています。子供のときから感じていた「何か人と違う」という説明のつかない違和感に、客観的な根拠が欲しかったと。

発達障害と知らずに相手と接している人は、基本的に相手の印象をほとんど性格の問題と捉えてきます。

「やる気がない」「協調性がない」「気が利かない」

こういった評価を向けられても、事情を説明できないもどかしさを想像できるでしょうか。障害が背景にあることがわかっていれば、少しは正当な主張ができたものを。

過去に受けた誤解は、今でも重くのしかかります。過去に誰かを怒らせたことや恥をかいた黒歴史が急に蘇り、今の自分をも苦しめてきます。このフラッシュバックと呼ばれる現象には多くの発達障害者が苦しんでいて、立ち直りを阻害する大きな要因になっています。映像記憶に優れていて、昔のこともよく覚えていると評される発達障害者だから尚更です。

障害の診断を受けた後も、長年にわたって傷ついてきた自己評価が塗り替わることはありませんでした。自尊心が損なわれれば生きる気力も失われ、下り坂の人生を転げ落ちるのみ。発達障害の子供を持つ家族には、傷が拡がる前に自信を引き出す教育をしていただきたいと願います。

発達障害者が正しい診断を受けることには2つの意味があると思っています。一つは周りの人間に正しい自分を知ってもらうこと、もう一つは自分で自分の特徴を正確に把握することです。

今では考えられないのですが、診断を受ける前はADHDばかり疑っていて、アスペルガーの自覚がありませんでした。思い返せば、ネガティブなことを言って相手を白けさせたり、相手の言うことをすぐに否定してしまったり、自分の好きな話題だけを延々と話してしまったりと、多くの失敗があったにもかかわらずです。

テレビなどで見た重度の事例と比較してしまっていたからでしょう。今ではこれらも含めて自覚できてよかったと、心から思います。

診断を受ける前も後も、生きているだけで罪悪感があるのは変わりません。迷惑をかけていないか、不快な思いをさせていないか、自分がどう思われているか等々。そして何気ない一言を言われただけもネガティブにとらえ、頭から離れなくなります。

普通の人が平気でこなしていたり、純粋に人との付き合いを楽しんでいたりするのに、なぜ自分は疲弊するほどのエネルギーを使わなければいけないのでしょう。人と一緒にいることに息苦しさを感じるようになった今では、友達が欲しいとか結婚したいとか思うこともなくなりました。

これらは障害をそのままに生きてきた後遺症です。今後も向き合っていかなければなりません。

仕事は今のところクローズで続けています。診断された事実だけを話しても戸惑わせるだけかと思いますし、付き合いの長い人ほど打ち明けにくいものです。もちろんトラブルと無縁ではなく、年齢に見合った価値も発揮できていません。障害者枠で就職すれば気が楽かもしれませんが、薄給なので最後の手段と考えています。将来がとても不安です。

最後は恨み節のようになってしまいました。今でも死にたい気持ちとせめぎ合って生きています。この気持ちをどうコントロールしていくかは一生のテーマです。

一般の方が少しでも苦しみをわかってくれたなら、うれしく思います。長い拙文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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