「発達障害の回顧録④【診断を受けるまで】」

私はアスペルガー症候群とADHDがある31歳です。

「アスペルガー症候群」「ADHD」という単語を初めて知ったのはちょうど20歳の頃でした。ネットサーフィンをしていて、たまたま開いたネット記事にその言葉は載っていました。

初めて聞いた言葉でしたがなぜか気になり、検索にかけました。すると特徴を説明したページがいくつもありました。見ると、自分に当てはまるものもあれば当てはまらないものもあります。しかし、一部は自分が子供の頃から自覚していた特徴にとても似通っていて、普通の人にはなさそうな、実に奇妙な一致でした。

「ずっと自分を不思議に思ってきた正体はこれなのではないか」

点と点がつながった気がしました。

それ以来、発達障害のことを調べ始めました。それまで抱き続けてきた生き辛さの原因を解き明かしたくて、検査を受けられる病院を探すようになりました。調べていくうち、県の発達障害者支援センターがあることを知り、メールで予約して足を運びました。ここで医療機関を紹介してもらえると記されており、それを期待して行ったのです。

相談の時間は1時間程度だったと思います。相談員と記録係が1人ずつ付き、私が質問に答える形で話が進んでいきました。途中まで共感してもらえていたのですが、あらぬ方向へ話が逸れ始めました。ちょうどこの頃は私が就活で大苦戦を強いられていた時期だったことから、まるで就活の相談に行ったかのような内容になってしまったのです。

結果的には、期待していたように医療機関の紹介をしてもらえることはありませんでした。その際にはこう言われました。

「あなたと話していても特に違和感はありません。ご家族には内緒にして来られているのでしょ?診断を受けるには親にも話を聞かなければいけないんですよ。」

納得はいきませんでしたが、言葉を返せませんでした。うまく話を軌道修正できない自分にとても悔しい思いをしたのを覚えています

この時代に当たる2010年頃は、まだ大人の発達障害が今ほど世の中に認知されていませんでした。大人になると診断が難しくなるとも言われていました。

その後、就活では間一髪のところ内定をもらい、卒業後は印刷会社に就職しました。卒業も就職もできて事なきを得たかと言えばそうではなく、学生時代に劣等感を増幅させた私はうつ状態になっていました。口数も少なくなり、人との交流も避けるようになりました。不気味な雰囲気を放っていたのでしょう。近寄り難いやつが入ってきたと社内では噂されていたようです。

仕事内容はパソコンで印刷物のレイアウトをする仕事で、デザイン系の学校を出ていない私にとっては幸運な巡りあわせだったと思います。というのも、営業や接客などコミュニケーションが土台の職種は徹底的に避けていたからです。連絡手段が口頭よりメールが多かったのも好都合でした。

それでも口頭でのやりとりがまったくないわけではなく、会話がかみ合わなくて周囲とギスギスすることが頻繁にありました。仕事の要領も悪く、繁忙期には自分から溢れた仕事を先輩にも負わせる形になり、さらには外部の委託先への指示が間違っていて後から何度も訂正するなど大迷惑をかけ、メールの送信先を間違えるミスもよく起こしていました。

周囲との人間関係が悪化したり、自分を追い詰めてしまったときには、再び発達障害の受診先を探すようになりました。発達障害の診察に対応した病院を製薬会社がHPに公開しており、その中から近い精神科を選んで受診しました。

ところが、医師はまったく診る気がありませんでした。一応発達害の傾向があることは認めた上で、「障害とわかっても治す方法はない」「障害があることを職場に伝えている人は少ない」「限られた職業にしか就けなくなる」等々、診断に意味がない理由を並べて納得させようとしてきます。結局はうつの薬をもらうだけで、根本的な問題へのアプローチはないままでした。

その後もストレスを抱えるたびに別の精神科にかかっては、同じことを三度ほど繰り返しました。後から聞いた話では、製薬会社のリストに載っている精神科でも発達障害を積極的には扱っていないところも多いそうです。それを濁そうとしているのが見え透いていて、かえって不信感が募りました。正直に認めてくれた方が、印象が良いものです。

そのまま時が流れ、29歳になりました。ここでは触れませんが、その間二回の転職をしました。転機はたまたま訪れました。

仕事帰りに、何度か利用しているバーに立ち寄りました。そこで席が隣になった年上の女性とお話ししました。自然な流れで、彼女は自身が発達障害者であることを打ち明けました。そのとき、私は思わず前のめりになりました。発達障害を名乗る人と対面したのはこれが初めてだったからです。

自分に障害の疑いがあることを話し、いい精神科が見つからないことを伝えました。すると彼女は自分が検査を受けた病院を勧めてくれました。私はその精神科に予約を入れ、1ヶ月くらい待って受診しました。

予約の枠が限られているとあって、そこではじっくり話を聞いてもらえました。そして希望していたWAISという知能検査も受けることができました。WAISでは言語性IQと動作性IQの差が15以上であれば発達障害の傾向があると見なされますが、私の場合は21でした。この結果も参考に、ようやく発達障害の診断が下りたのでした。

次回は自分の経験から考える診断の必要性について綴りたいと思います。

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