【毒親】発達障害者は毒親持ちが多い?毒親の正体とは?【体験談】

 

今回は発達障害傾向をお持ちの方へ独自取材をおこないました。
その中から掲載に同意していただいた方のインタビューです。

 

-あなたのお名前(仮名可)・年齢(年代可)・性別・発達障害や病気の種類を教えてください。

おはようございます。
僕の主観と記憶にある範囲で回答させていただきます。
よろしくお願いします。

名前:平
年齢:36才
性別:男性

直接診断を受けた訳ではないですが、満遍なく軽度に網羅している感じで、ADHDの傾向が少し強いかもしれません。

 

-両親も発達障害傾向があるのですか?

恐らく父も発達障害の傾向があると思います。

吃音の傾向があり、共感的な理解があまりみられません。

父は家庭内よりも世間体を優先する傾向と、エリート意識の様なものがあったと思います。

現在は定年で退官していますが、国家公務員として務めており、また身体に障害のある方が多い職場で、父は身体に持病以外の器質的障害が特になかった為、差別的に見られる事も多かった様です。

他の方より多く業務を抱える事もあった様で家では愚痴っぽく、また家族間で少しの意見の食い違いなど、直ぐに怒気を発していた気がします。

僕が幼少期の頃は暴力的な事も頻繁にありました。

自分がどうしたいか、家族がどうしたいかというより、世間一般的に善いとされる事が好きで、他人からどうみられるかという事を気にしていたと思います。

父から言われた事や、父もしている事を他人の前ですると叱られたりと、内と外で行動や言動が大きく変わる事がしばしばあり、困惑した記憶が多々あります。

大切なのは家族よりも面子といった感じでしょうか。

 

-お母さんはどういった方ですか?

母は学力や知識といった面で乏しく、一言で表すと気のいいお馬鹿さんといった感じの人ですが、とても感情的で僕が子供の頃や思春期の時期には少し暴力的なところがありました。

僕が幼いころは父の暴力による影響でしょうが、僕が悪さをすると必要以上だと思えるくらいの当たりでした。

僕も僕で親子の言う事や他人の言う事を素直に聞き従うほうではないので、親子間ではどちらかというと常に対立していた気がします。

今思えば母も辛かったのだろうし、そうしたくてしていた訳ではないと理解できます。

母は祖父の第からの仏教系の宗教団体に所属していて、そこでの活動や繋がりが荒れた時期を支えていた様な気がします。

母はとても情の深い人でもあり、子供が好きで、宗教間のそういった繋がりを大切にしていた様に思います。

時々家庭を投げ打ってみたり、両立する事がなかなか難しかった様で、睡眠時間がほとんど無いような事も多々あったかと思います。

両親ともにお人好しだと思いますが、どこか本質的な部分が欠落していたのではないかと思います。

 

-なにか対策などしていましたか?

僕自身これといった対策はしていないですが、経済的には何不自由ない反面、割と荒れた家庭環境でしたので、僕も無意識に他人に暴力を振るう傾向がありました。

子供の頃はエアガンなどにハマり、それで他人を傷つけたり色々善くない事もしました。

当時はそれを特に反省する事もなかったのですが、常に自分自身に違和感があり、よく自己嫌悪に陥って心のなかでは死にたいと思っていました。

死にたいのは今でも変わりませんが(笑)

よく親から言われた事のなかで、人に迷惑をかけるな。

これが一番嫌でした。

迷惑をかけずに生きる事なんてできない、死ねと言われてる感覚になったのを覚えています。

迷惑かどうかはそれを受ける人の感覚に依存するもので、子供が何かして迷惑だと思う人は子供の存在やその先にある子供の将来を否定しているのだと思います。

 

対策ではないですが…

僕はとにかく自分で納得いかない事はしない。

とにかく考える。

なぜ自分がそうしてしまうのか、他の人からすれば失敗かもしれい事を繰り返してでも、自分自身納得するまで突き詰める。

よくネガティブだとか悲観的だとか言われましたが、全て事実をありのまま受け入れてしまっていたからだと思います。

僕自身に必要な事は何か、必要のない事まで鵜呑みにしてしまっていた事にある時気づきました。

結婚して親に孫の顔を見せなければならない。

就職して家族を養えるだけの収入を得なければならない。

そういうのは僕には向いてない、ただそれだけの事で、それに向けて否定されつづけた僕は、ただありのままの僕でありたかっただけだと。

 

親から受けた事、他人から受けた事、そのほとんどは反面教師的に受け止めて、嫌だった事は徹底的に改善してやろうと思いました。

排除するのではなく、そうなってしまうのも仕方ない事で、環境や状況がそうさせるのだから、その環境や状況の外に出て、時には振り返りながら更にその先を見続けよう、そうして嫌だった事を活かして環境や状況を自分で作ろうと、ただそれだけの事です。

苦手な事もありますが、それも自分自身の要素ですので、それはそれでいいですし、とにかく以前と以後、常にその先を考えていければな、と。

他人に迷惑をかけるな、という人にはなりたくないので、困った状況や結果には、なぜそうなるのかという明確な答えを事実にのみ基づいて出す事を心がけています。

 

-最後にみなさんにアドバイスや伝えたいことがあればお願いします。

アドバイスになるかどうか解りませんが、感情はあくまでもサイン、兆候で、感覚はその時の環境と状況が作る認識の基準です。

何に対して怒ってるのか、何に対して悲しんでいるのか、何がきっかけでそうなって、その結果なにがそこに発生しているのか、自分と他人だけではなく、その場にある要素全て認識出来ているかどうか。

なぜ困っているかと言えば、それを打開する要素をその時知らないからと、その要素を持つ人ではないからというだけなので、その要素を知って、その要素を理解して会得すればいいだけです。

ただ、その要素を会得したとしても、環境や状況に依存する事が基本ですので、既に出来上がった環境や状況は一人で変える事は難しいです。

急がば回れ、その時点では無理だったとしても、更にその先に必要な要素を知って理解して会得しながら、ありのままの自分自身が出来上がるのを追求するしかありません。

ちなみに、僕は誰の言う事も信じませんし、受け入れません。

ただ、そこに提示される情報と環境と状況、そこにある事実を総合的に比較して最善はどこにあるのか、ただそれだけを考える様に心がけています。

そこにある事実というのは、自身の感情や感覚も含みますが、むしろそれを中心に考えます。

この時、感情は共通する単一的なもの、感覚はそれぞれの身体、経験や段階、それが培われた環境や状況毎に異なるものです。

もし、同じ身体、同じ経験や同じ段階で同じ環境や状況なら誰しも同じ感情になるという事で、それが理解出来れば、そこにある出来事をフラットに認識する事が出来ます。

後は理想と幻想の違いを見極めるとか色々コツはありますが、長くなったのでこの辺にしておきます。

いつも長々すみません。
思いつくままに打ち込んでいるので、文脈がめちゃくちゃだと思いますがよろしくお願いします。

また何かありましたらお気軽にお声かけ下さい。

情報整理する善いきっかけになりました。

ありがとうございます。

 

 

編集部:ご協力ありがとうございました。

 

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