「発達障害の回顧録①【言葉の理解】」30代男性からの投稿

私はアスペルガー症候群とADHDがある31歳です。
これまで生きてきた中で抱えてきた生きづらさを、数回に分けて書いていこうと思います。

診断を受けたのは29歳のときでしたので、以下の体験はすべて発達障害という概念すら知らなかった時の話です。

もともと私は幼児期から言葉の発達が遅かったそうです。なかなか言葉が出ないので、両親からは心配されました。しかし、話すようになって周りの子供に追いついてくると、それ以降は気にされることはありませんでした。

小学校に入ると、集中力のなさが目立ってきました。先生が話しているときは話がまったく頭に入って来ず、いつも上の空。ADHDにおける多動性は見られなかったので、見かけ上はしっかり集中しているように見えるのですが、実際はただボーっとしているだけという状態です。意識的に集中できないというよりは、耳に入ってくる言葉を脳が受け止めないという言い方がしっくりくると思います。

後にクラスで自分だけ話を聞いていなかったことが明るみになって、叱責を受けたことが何度もありました。親への重要な連絡を聞き逃したときは、親が同級生の自宅に電話して聞き出したりしていました。しかし、親は呆れる以外のことは何も思わなかったようです

時は流れ、中学・高校と進んでいくと、さすがに小学生の時のような「一切聞いてない」ということは少なくなりました。それでも聞き逃しが多く、時によってはほとんど内容が把握できないことも頻繁にありました。

影響は学業にも表れました。高校での国語の点数が、クラスの中で極端に悪かったのです。漢字以外の読解問題がほぼ全滅といったこともありました。一方で漢字だけは得意で、校内の漢字テストではよくトップに立っていました。教師からは「漢字や作文の能力は悪くないのに、なぜ読解だけこんなにできないんだ」と、とても不思議がられました。

他の教科は勉強した分成績も伸びました。その中で国語だけはどうにもなりませんでした。受験ではこれが命取りとなり、本命ではなかった大学に進学しました。親や担任は「勉強が足りないからだ」とか「普段本を読まないからだ」と一方的に決めつけました。

ネットサーフィンでたまたま発達障害という言葉を知ったのは、それから3年近く経ってからのことです。診断時に受けたWAIS-Ⅲの結果は、言語理解のIQは高かったものの、こう書かれていました。

「聞いた情報を正確に記憶したり、頭の中だけで整理したりすることが苦手です。」

高校を卒業して13年が過ぎましたが、今でも悔しさがこみ上げてきます。
世間では「受験は公平だ」「努力は裏切らない」と言われているのに、自分にこんなハンデがあったとは。だまされていたような気分になり、激しく社会を恨みました。

あまり詳しくは知らないのですが、発達障害の診断を受けていれば、入試では別室受験や試験時間の延長などの配慮を受けられる場合があるそうです。
早くから障害を知っているか知らないかで、人生が大きく変わってくると思います。

多くの方が言っておられるように、早期発見が如何に重要であるかをこの体験からも感じていただければ幸いです。

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