「発達障害の回顧録②【自分の印象と能力のギャップ】」

私はアスペルガー症候群とADHDがある31歳です。
前回と同様に、発達障害という概念すら知らなかった子供時代のことを書いていこうと思います。

私は子供の頃からボーっとしていると周りから言われ、自分でもその自覚がありました。喜怒哀楽が乏しく、あまり感情が表に出ないのがその要因の一つではないかと思います。

小学生の頃は友達が多い方ではありませんでしたが、自然と一緒にいることの多い仲間はいました。しかし、同年代が好む娯楽にあまり興味がなく、友達と遊んでも楽しいという感情が湧かないことが多かったのです。同級生の話題についていけず、あまり交友関係も広がりませんでした。

そんな中、娯楽に興味のなかった私がたった一つのめりこんだものがありました。それが小学3年生のときに学校でもらった地図帳でした。どんな点に魅惑されたのかはわかりません。ただ、地図帳を眺めることが脳に刺激になっていました。暇さえあれば地図ばかり眺めていたので、小3にして日本中の地名を覚えるほどでした。

発達障害とわかった今となっては、興味の偏りと過集中が障害の1つの特徴と捉えられるのですが、そうとわかるのは10年以上先の話です。

小学生の男の子と言えばやんちゃ盛り。同級生はしょっちゅう悪戯したり、喧嘩したりしていましたが、私は子供にしては落ち着いていて精神年齢も高めの印象を持たれました。やんちゃなことはせず、テレビゲーム等もあまりせず、やたらと地理に詳しい。こんな変わった子供でしたから、そう見られるのも無理はなかったかもしれません。

しかし、高学年になると印象とのギャップに苦しめられるようになりました。学級委員のような役職の候補者として白羽の矢が立つことが多くなったのです。立候補者がいないときは推薦という名の押し付け合いになり、何度もその標的にされました。反発も虚しく、その場の空気に押され、意に反する形で役職に就くことがありました。

前回も書いた通り、私は人の話を聞くことがとても苦手です。自分のすべきことが把握できず、会議や諸々の役割をよくすっぽかしました。そのたびに教師の怒りを買い、他の児童・生徒からも非難を浴びました。

また、中学生のときにはある行事の実行委員を務めたときのことです。
段取りを一度聞いただけで呑み込めない私は、自分が納得してわかるまで担当教師に聞き返そうとしました。すると、怒ったように返ってきた言葉は、
「なんでお前は一度で聞けないんだ!」
この時以来、一度聞いたことを相手に確認するのを躊躇うようになったのでした。

生きていくのに、自分の印象はとても大切です。しかし、印象と能力の落差が大きいほど、潜在的な発達障害者は苦しい思いをすることが増えるのではないでしょうか。

もし発達障害の事実を小中学生の頃から自分も周囲の人間も認識していたら、様々な摩擦を避けられたのではないかという気がしてなりません。

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